今日は、昨日の異様な暖かさから一転して、寒の戻りで気温が下がった。
しかも午前中は雲に覆われ、なかなか、気温が上昇せず、ハウスを開けることができたのは、11時を回った頃である。薄曇りの中の陽の光は弱々しく、ハウス内の気温もとても緩やかにしか上昇せず、ハウスの開く度合いはすきま風を招く程度であった。
正午を過ぎたあたりから、空の青さが増し、陽の光の強さが戻ってきたので、いつものようにハウスを全開し、遮光カーテンで光量を制限したが、気温が一桁台で推移したため、苗床の温度も20℃前後で推移していた。
午後から、昨年までの「農業者戸別所得補償制度」が「経営所得安定対策」へ名称変更した農業者への補償制度の説明会に参加した。
昨年の4月に農地を5反以上まとめて借りることができ、農業者として登録されたため、今年初めて参加する説明会である。
「平成25年度からスタートする 経営所得安定対策のあらまし」と題したパンフレットを主体に説明がなされた(1冊100円する資料だったとは、ビックリである)。
国民の税金で支払われる補償金なので、「栽培日誌」、「販売伝票」の提出が義務づけされていることなどが、繰り返し説明され、そして、注意喚起された。
と、栽培日誌については、昨年4月の農業者として登録された際に、日誌を記録するようにと説明を受けたが、それほど重要なものとはとらえていなかった。だが、今日、全体の説明を聞いて、とても重要なことであると、遅ればせながら認識できた(反省)。
昨年、栽培を予定していた大豆は推奨品種(ふくゆたか等)ではないため、補償金の対象とはならず、それならば、栽培日誌を記録しなくともとの思いで、写真撮影以外は記録していない。
だが、農業者として栽培記録を残して次年度に生かすに超したことはないし、推奨品種以外でも収穫できることの証明にも使えるし、との思いで今年から記録することにした。
昨年は減反政策による補償金が振り込まれていたが、約2反の田んぼで稲を作らなかったために補償金が得られるのは何となく納得できないが、予定外の収入として、予定外の支出に充てることにする。
他界した岩澤先生は「補償金が大嫌い」であった。補償金が日本の農家を駄目にしたとの思いからで、補助金ありきで農業経営を計画すると、いつまで経っても補償金ありきの農業経営から抜け出せなくなってしまう人間ゆえの弱さを憂っていたことを思い出した。